WORLD 1~4
WORLD
これは真理の物語である。
そしてこれは俺が描く、俺自身の為の物語である。
1.
「正義は必ず勝つ!」
画面の中の主人公らしき人物はそう叫び、賞賛されていた。
俺はテーブルからリモコンを取り、無言でテレビのスイッチを切る。
無駄のない、少し質素な、ごくごく一般の家庭のリビング。
「―――――――――――。」
両膝につけた両肘に体重をかける。
溜息まじりの一息。
ソファに座ったまま動こうとはしない。
隣に座る少女もまた動かなかった。
しかし少女は背筋を伸ばし、視線をまっすぐに保ったままだ。
ただ、そのまま。
「おお。早いな。」
唐突に声がかかる。
「…まあ」
かろうじて聞き取れるくらいの声だ。
「…ん、そうか。じゃあ、行ってくるよ。」
声の主はネクタイでも締めなおしたのか、服の擦れた音を残して家を出た。
何事もなかったかのように沈黙が続く。
目を閉じて、ただ時間が過ぎるのを待つ。
「――――――――」
行こう。
青年は立ち上がった。
2.
時は2010年。ここは日ノ本と呼ばれる島国である。世界の最東端にあり、人口は約1億3000万。四季があり、自然は様々な表情を見せる国である。島国であるが故、他国からの侵入が少なかったというのもあり、独自の文化を築いてきた歴史がある。その為、様々なものが目新しく映るのだろうか、外国からの観光者も多い。前世紀にあった戦争で壊滅的な被害を被ったにもかかわらず、100年も経たずして世界屈指の大国に登りつめ今に至る。
その過程で多くの自然や文化財が失われもしたが、それでも尚、それらが多く存在する国である。だからだろうか、大国の持つテクノロジーと古から残る文化とのイメージの狭間に困惑する異邦人も多いと聞く。
現在では、大国の技術とその独自性を生かし、主に輸出産業で国内経済を潤わせていたが、一昨年に起きた世界恐慌の影響で大きな通貨価値の変動が発生。比較的安定的な日ノ本の通貨を各国の投資家は求め、結果、通貨価値は上がり、輸出産業に多大な影響を及ぼした。家庭の経済状況は悪化。購買意欲は低下し、国内需要は落ち込む。更に会社の経営は難しくなるという悪循環。いくつもの企業がこの2年の間に斃れた。この事態の対応に政治家達は立たされる事となるが、昨今政治家と大手企業の癒着が発覚し、それまで約40年間に渡りこの国を支えてきた党派は与党から転落。新しく与党となった党派にはこの状況を乗り切るだけの手腕を持った人間がほとんど存在せず、また、今までに1度も与党として国を舵取りしてこなかったというのもあり、この未曽有の危機を乗り切ることはできないでいる。
それが今の日ノ本である。
ガラッ
少しうるさい教室のドアを開ける。
教室内の目線が一瞬こちらに向けられ、すぐに散る。
「よう。」
席に向かう途中、声をかけられる。声の主と目が合う。
「…ああ。」
そう答え、すぐに目線を自分の席へと向かわせる。
「お前、あいつと仲良かったっけ?」
「…別に?」
「んー…」
「何?」
「あいつ。ぜってー性格悪いぜ?」
「話したことあんの?」
「いや…ないけど。」
「ふーん。そう。」
少し声は抑えられていたがそんな会話が自分の席からでもよく聞こえた。
少女はいつも通り、俺の学生服を掴んで離さない。
ただじっと、捕まえた右袖を見つめている。
だから俺も、いつも通りに1時限目の授業の支度をする。
いつも通りの日常が過ぎる。
放課後、俺はそそくさと帰り支度をする。
「なあ。」
珍しい。そう思った。今日で二回目の他人からの接触。鞄から目を上げる。
「…今日、一緒に帰んねえ?」
相手は俺の目を見ている。返答を待っているらしい。
「ああ、問題ない。」
「そっか。」
少しだけ微笑みを浮かべた後、
「じゃ、そういう事だから。俺狭山と帰るわ。」
彼は少し離れたところにいる2,3人に向け意思の伝達をする。
「え、あ。ああ…」
その中の一人が呆気にとられた様な表情で返事を返す。
「じゃ、帰るか。」
俺の方に向き直り、そう告げる。
「…ああ。」
支度の完了した鞄を持ち上げ、教室を出た。
一緒に帰るといってもお互い無言だった。少なくとも今のところは。
どこまで帰り道が一緒なのかもわからないが、俺の左を歩く。
「…狭山ってさぁ、」
家まであと半分くらいかといったところで同行者に声をかけられる。視界の端に移る表情には少し笑みが浮かんでいた。
「変わってるよね。」
「…かもね。」
妥当な返事だと思う。
「なんていうか…。」
少し詰まって、馬鹿にしたような、自嘲的にも見える笑みを溢して、
「目立つ…。」
地面を眺めながら独り言のように呟く。
「フッ…」
今度は俺が山ケ野と同じような笑みを溢す。
右隣の少女はゆっくりと、いつもと変わらぬ無表情な顔で俺を見上げた。
「…そうだな。」
目立つ。的を得た表現だと思った。昔から今までいつも、全てにおいて。そして恐らく、これからも。
「何も思わねーの?」
目線だけ、こちらに向けているのが判る。
「……別に。」
「フッ…ああ、そう。」
今度は先ほどの感情に加えて別のものも混じっていたと思う。
それで会話は終わった。
「俺、こっちだから。」
会話が途絶えて数分後、彼は横断歩道を渡る。
「じゃあ、またな。」
渡り際に軽く手を振られる。
「ああ…。」
短い返事とともに軽く手を挙げて答えた。
「フッ…。」
変わらぬ笑みを溢して彼は背を向けた。
まともな奴だな。少なくとも他の奴よりは、そう認識した。
青年と別れて数分。帰り道に通る商店街の入り口、今日はそこに何人か、他の学校の生徒だろうか―。がいた。近づいてみると、見るからに弱気そうな一人が他何人かに囲まれているのが確認できた。
「ねー。良いでしょ?お願い!お金足りなくてさぁ…」
通り過ぎ様にそんな声が聞こえる。ほぼ同時に、囲まれ、集られている生徒からの目線を感じた。
正義は必ず勝つ!
ふと、そんな言葉が過った。
「ハッ…。」
嫌悪して笑う。あの主人公がこの現場にいたらどうしただろうか。説得するか?それでも駄目なら戦うのか?正義とやらの為に。正義なんて見方の違いでしかないのに。仮にあの主人公が超人的な力を駆使してあの集っている生徒を正義の名のもとに殴ったとして、それは良い事なのか?仮にも人を傷つけているのにそれは正義と言えるのか?他の通行人が見たら、ただ主人公側が一方的に殴っているようにしか見えないかもしれない。手段が説得だったとしても、変なやつに絡まれた学生がいる。と学生を助けようとする人がいるかもしれない。その人には何がどうあれ主人公こそ悪であるのだろう。
悪とされた人達にも、なにか事情があったかもしれない。家が貧しくどうにかしようとしてその結果、など。理由などいくらでもある。それを正義とやらは無視して、相手を純粋な悪と決めつけるのだ。その勝手な当て付けに青年は怒りを覚える。
いつからか、青年は正義を憎んだ。特別何か大きな事件が彼を変えたというわけではない。しかし、正義が行うような勝手な当て付けが、青年を幼い頃から襲っていたのである。故に、青年は早すぎる頃から正義の正体を知ったのかもしれない。
世界とは何か。
神とは何か。
これが青年の興味を引く数少ない物の中で、最も欲する物である。
これ以外の事はほとんど考えていなかった。
山ケ野と別れた後も、いつも通り俺は考えた。
隣を歩く少女は、少しだけ笑っていたような気がした。
山ケ野と帰った翌日、普段通り学校へ向かう。
右袖を掴む少女は、夏も終わりこれから日が短くなるだろうに、変わらない白のワンピースを着ている。寒くないのだろうかと心配したこともあったが、杞憂であった。
ガラッ
教室に入ると、いつもの視線を感じ、そしていつも通りに散る。
「よお。」
山ケ野は俺に声をかける。
その声は少し挑発的なものであった様に思う。
「ああ…。」
昨日と同じように返事をし、席へ向かう。
「どうしたよ?」
山ケ野の隣にいる生徒は声色の変化に気づいたのだろう。
「…別に。なんでもねーよ。」
若干の笑みを浮かべた顔で返事を返す。
「なんでもないってことは無いだろ。……昨日、なんかあったのかよ?」
仲間はずれが悔しかったのか、単なる好奇心からか。真意は定かではないが生徒は食らいついた。
「別に。ただ話しただけ。」
「話しただけって…じゃあなんだよ。それ。」
「…それって?」
山ケ野は微量の笑みを溢す。
「明らかに…違うだろ。昨日と。」
「フフッ…かもな。」
山ケ野の視線が一瞬こちらを向く。
「やっぱりあいつ、バカにしてただろ。俺らの事」
「馬鹿にする?それはないんじゃね?」
「じゃあ、なんでだよ?」
「別に、なんでもねーって。気にすんな。」
そういって山ケ野は手を仰ぐ。その表情には呆れが見えた。
「はぁ?なんでだよ!おい!」
山ケ野の隣の生徒は声を荒げる。
「あー、わーったわーった。別に、なんも思ってねーってさ。」
「はぁ?意味わかんねぇ。」
「だから!どうとも思ってねーってさ。」
「じゃあ何で…」
大きくなっていた声はここにきて聞こえるか聞こえないかくらいまでに落ち込む。
「あーもういいよ。つか、朝礼始まるぜ?」
山ケ野も疲れたのか話を逸らした。
もう一方も、もう問いただしはしなかった。
山ケ野は昨日の数少ない会話で理解したのだろう。俺がどういう人間であるか。俺にとって、狭山 煉にとって周りがどういうものであるかということを。そしてそれが山ケ野をあんな声色にさせる原因であることを俺は知っていた。
知っていたのに、そうした。
袖を引く力が強い。嬉々とした表情が俺を見るのを知覚する。
朝礼も終わり、周囲が1時限目の支度をする。
隣から生徒たちの会話が聞こえる。
「1時限目ってなんだっけ?」
「んー?確か―――。」
魔法学――。世界中に存在するマナと呼ばれるエネルギーを、人間が扱える形に変換、物質に保管し、意識的にマナを充填、放出する為の学問である。魔法学と一口に言ってもその内容は多岐にわたる。代表的なものは、基礎変換魔法学、応用変換魔法学、物理魔法学、精神魔法学、変性魔法学などが挙げられる。
基礎変換魔法学とは大気中のマナを人間が扱える状態にすることを目的とした学問であり、より簡易的にマナを変換する術を研究する学問である。対して応用変換魔法学とは、どれだけ効率的にマナを変換、充填するか。ということに重きを置いた学問である。この二つは一般に1次変換魔法学と称され、高度な専門性を有する。
残る物理魔法学、精神魔法学、変性魔法学などは、物質に供給された人間が扱える状態のマナをどのような形で扱うかで別けられる。これら1次的に変換されたマナを再度変換し、発現させる事を2次変換技術と呼び、またそれらを学ぶ学問を総称して2次変換魔法学という。
他にも人里離れて暮らしてきたような人々や世界各国にいる少数民族の中には、独自にマナの使用法を編み出して扱う人たちがいるらしい。
マナと呼ばれる不可視の存在が知覚され、扱われ始めた時期には諸説あり、定かではないが、世界各国に残る多くの遺跡にその痕跡を見ることができる。
「…マナは有限と言われており、必要以上に使用することははるか昔から避けるべきであると言われてきました。太古ではマナを変換することができるのはごく限られた一部の人で、それ以外の人達には変換方法は教えられませんでした。古代から中世頃までは、そういった限られた人達から変換されたマナを買い取り、使用していましたが、とても高価で多くの民衆の手には届くものではありませんでした。マナを変換することができた一部の人たちは自らを貴族と称し、絶大な権力を持ちました。しかし中世以降、そのままでは使用できないマナを人が扱える状態に変換する装置、魔動器が開発されました。当時は技術的に未熟で、変換できる量もごく微量でしたが、マナを変換する技術は劇的に広がり、成長していきました。この急激な魔法学の成長を再生と言います。そして昨今では魔動器を通してなら誰でも簡単にマナの供給ができるようになりました。」
一人の生徒が教科書を読み上げた。
「よろしい。座っていいぞ。」
教壇に立つ教師は生徒を座らせ、一息つくと語り始める。
「しかし安全に、且つ長期にわたって安定的に使用できる魔道器の製造は今の技術を持ってしても難しい。結局、企業がマナコイルを貸し出す形で各家庭にマナを供給しているわけだから、私たち一般人からしたら金をとられる相手が変わっただけかもしれないがなぁ。」
感慨深そうに教師は嘯く。
教科書の話を補完するならば、貴族と平民の間にはマナを巡って大きな確執があった。貴族の中にはマナが生み出す力を元に平民を押さえつけ、苦しめ、搾取してきたものも少なくない。故に力関係に大きな差がありつつも、世界各地で幾度も平民による貴族の拉致、拉致未遂事件が起きているが、全てが徒労に終わっている。なぜなら貴族の全てがマナを変換できる訳ではなく、大抵はマナの変換方法を知った者の親族や、当時から政治、経済、軍事的に力を持っていた協力者であった。実際にマナの変換方法を知っていたのはその中のごく一部の人間だけで、またそういった人たちは秘匿的に扱われていたため、平民は勿論貴族でも誰が変換方法を知っているのかを知る者は少なかった為である。
日ノ本でも同じような事件は過去にいくつも起きていたようであるが、他国とは違い、マナを変換する術はある程度広まっていたようである。日ノ本の軍人はマナの変換方法を知っていて、且つ2次変換する技術は当時も世界に誇るものであったと言われている。しかし相手国のマナ以外で発達した圧倒的な技術、物量の前には敵わず敗戦。終戦後僅か1年の間にマナに関する資料は棄却、焚き書され、マナの変換方法には戒厳令が敷かれてしまった。特に1次変換技術に関しては徹底的で、戦後、戦前の1次変換技術に関する資料は見つかっていない。
「…っと。ま、法外な値段で売られず、自由にマナを扱えるようになったんだ。それだけでも大きな進歩だな。さて、ここで疑問になるのが、古代からマナが有限であると言われ続けている根拠だ。分かる奴いるか?」
教師はあたりを見回すと一人の生徒を名指す。
「狭山、解るか?」
どうしようか迷ったが、素直に答えることにした。
「…マナを一度に大量に変換した場所では通常よりマナの変換に時間がかかったり変換出来なくなる事があるからです。」
「ああ、そうだ。」
視界の上の方に映った教師の目はいつもそのくらい真面目に授業を受けろと釘を刺しているように見えた。
「それが現在までマナが有限とされている主な理由だ。マナの枯渇する時期については諸説あるが100年とも500年とも言われている。」
実際のところ、マナが有限である証拠は掴めていない。しかし何故マナが有限であるとされているかと言えば、単に都合がいいからである。それは歴史が証明している。
マナを有限とする説に反して無限である説も唱えられた。しかし、他の資源が有限であることや、無限であることもまた証明されている訳ではない為、その説を唱える者は僅かであった。
「あと5分か。各自ノートを取ったら終わるように。狭山が言ったところはテストに出す予定だから憶えておくように。」
教師の言葉に焦ったかのように生徒たちはノートに向き合う。
俺もノートに向き合う。
神とは何か?
世界とは何か?
今日もそれ以外どうでもよかった。
神とはきっと、好奇心旺盛なのだと思う。少なくとも、人であったら性的に興奮を覚えてしまう程に。そう思っていた。本当に神が人を生んだというのなら。神が作ったのだというのなら。きっとそうなのだろうと。俺は予感していた。
1日を終え帰路に着く。日の出る時間短くなり、外は既に紅かった。ふと校舎の窓から外を見ると何人かの生徒達が集まって作業をしていた。何かの準備だろうか。口を動かしながらもせっせと働いている様子がうかがえる。
―――こういうのは、悪くないな。
口には出さなかったものの、そう思った。彼らを遠くに感じながらもどこか満ち足りていた。
「そういう笑い方もするんだな。」
聞き覚えのある声だった。
「悪いか?」
視界の端に人影をとらえた。
「別に。…文化祭の準備だろ。早いところはもう動いてる。」
山ケ野は同じように外を眺めた。
「何を聞きに来たんだ?」
雑談しに来たわけじゃないのは理解していた。
「大体予想ついてんだろ?」
「まあ。でも推測でなく事実として知りたい。」
「はっ!何で答えなきゃいけねーんだよ。」
山ケ野は苛立ちを隠さない。
「頼む。」
「――――――。」
「…お前の推測ってのは?」
「自分とは感性が違いすぎて理解に苦しむ…とか。」
俺の推測に山ケ野の表情は歪んだ。
「っ………でもな!それだけじゃねーよ。」
青春を謳歌しているであろう生徒達から目を外す。
「………気にくわねーんだよ…」
絞り出すような声で言う。俺を睨む青年の姿を捉えた。
「…何が?」
生き方が、だろう。解っていても聞いてみたかった。彼らが俺を疎う理由を。
「神にでもなったつもりかよ。」
「なれたなら――――。」
「……なれる筈がない。」
山ケ野は、何も言わなかった。
彼は隣に立った。少し彼らを眺めた後、彼は口にする。
「…どうでもいいんじゃなかったのかよ?」
純粋に疑問に思った事を口にしているのだと思った。
「ああ、そうだな。」
再び、彼らに向き直る。
「…さっきの顔はなんな訳?」
「別に。」
「仲間に加わりたいとか?」
「まさか。」
いつものように笑った。
あの中に入る?その結果どうなるかくらい山ケ野にも想像はつくだろうに。山ケ野なら理解していると思ったのだが。
「にしては、なんていうか…諦めたみたいだったな。」
「…かもな。」
山ケ野も笑う。
「あっそ。お前さ…田村も言ってたけどやっぱり馬鹿にしてるのか?」
「まさか。」
正直田村が誰か認識していなかったが、いつも山ケ野の隣にいる生徒だろうと推測する。
「ゲートボール。」
「…は?」
怪訝な顔で反応した。気にせずに続ける。
「知っているか?」
「…まあ。じっちゃんとかよくやってるやつだろ?」
「ああ…。ルールは?」
「まあ…何となく。」
「それと一緒だ。」
「はぁ?…………………ああ。」
一瞬怪訝そうな顔に戻るが、数秒の後理解したようだった。山ケ野の理解力の速さに感心する。
「……お前といるとこんな笑い方しかできねぇ。」
いつも通り、青年は嗤った。
…悪いな。
例えとしては適切だと思う。
やっていることは理解できる、ルールもある程度理解できる。でもそれ自体に興味は無い。人生を走り切った彼らの余生を楽しむ姿を外から眺めている。彼らの世界を眺めていたい。そんな感じだ。その中に若い少年でも一人は入ったとしよう。良くも悪くも空気はきっと変わる。少年の場合、結果はプラス側に傾くかもしれない。ただ俺は逆だ。総和は必ずマイナス側に傾く。だから外から眺めていたい。犯さず、犯されず。文化祭の準備をしている彼らだけに言える事ではなく、俺の中でそれはほぼ全てにおいてそうだった。
気づけば、彼女は退屈そうな目で袖を引っ張っている。
そんな目をされても困るのだが。
「本当に、どうでもいいのかよ。」
「興味がないんだ。」
納得させるのにはこれが一番だろうと思う。
「じゃあ、何に興味持ってんだよ?」
「…世の中に。」
彼はまた嗤った。それにはいつもより強い諦観があったことを認識した。
「…お前、来年どうすんだよ。」
それでやっていけるのか?とでも言いたいような目だ。
「就職しようと思ってる。」
「は?大学行かないの?お前」
山ケ野には意外だったらしい。こちらに顔を向けた。
「学びたいことがあるから行くのが道理だ。」
「そんなこと言ってるやついねーぞ。今時。」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの声色で告げる。
「だろうな。まあ…目途はついている。」
「へえ、そうかよ。」
興味ありそうな目をしていたと思う。しかし何も聞かず、じゃあな。と言い残しその場を立ち去る。
「山ケ野」
「ああ?なんだよ。」
面倒くさそうに答える。
「…お前はいいとこまで行くだろうな。」
「フッ…馬鹿が。余計なお世話だっつの。」
彼は帰路に着いた。
自宅に帰って一息、台所で水を飲む。
……やりたい事、か。
大学に行ってまでやりたいことは俺には無かった。神について、世界について、なんて学びに行こうとは思わなかったし、何より自分で考えなければ意味がないと思っていた。それに大学なんて初めから論外だった。
自室に戻り、ベッドに横たわり目を閉じる。少女も同じく隣に寝転ぶのが解る。
「――――――――。」
「――――――――。」
彼女の頭を撫でた。
驚いた。目を開けると彼女はいつも通り何を考えてるのか分からない顔で俺を見ていた。多くを考えた。初めての行為に対し、彼女は少しも拒む気配は無かった。何故そうしたのかわからない。不可解だった。
でもそんなことはどうでも良かった。ただ撫でているだけで、何故か安堵していた。
叔父さんは今日も遅いだろう。一人で夕飯を食べる。最近は22時を越えるのが当たり前になっている。だからほとんど一人暮らしと同じような感覚だ。いつの間にか料理は勿論、家事洗濯は普通にこなしていた。最初は叔父さんがやってくれていたのだが、その時のそれは俺から見ても不慣れな印象を受けた。だから初めは同居人として何かしなければならないという責務からだったのだが。
彼の第一印象はどうだったか。記憶を遡ってみる。確か皺がよったワイシャツを着て俺を迎え入れてくれたと思う。穏やかな顔で俺を迎え入れてくれた。その顔は少しワイシャツ同様疲れているように思えた。幼い俺にはぼんやりと、そこに彼の心が見えていた。それでも彼は笑顔だった。今だったら微塵も知覚できない程の、やさしい笑顔で俺を見ていたのを覚えている。
夕飯を終え、風呂に入った後は自室のベッドで寝転がる。家での俺は大体こんな感じだった。ただ何するわけでもなく目を閉じて考え耽る。その時間がとても好きだった。これまで色々なことについて考えたと思う。神や世界についても勿論だが、自分という人間や他の人間についても考えたこともあった。現代社会の仕組みなんか考えると嫌気がした。それでも考えた。そして出た結論に当時の俺は諦観した。今の俺はどうか。今の俺は―――。
忘れる事も出来たと思う。出来た筈なのに忘れようとはしなかった。忘れたくなかったか?それもあったと思う。でもやっぱり、忘れることが出来なかったのかもしれない。…何故なら俺はそういう人間だから。
大好きな時間はひたすら自問自答を繰り返していた。きっと、ずっとそうして生きていくんだと思う。それで、いいと思っている。
「ただいまっと、寝てたか?」
突如、声がかかる。
目を開けると明かりが眩しかった。起き上がり叔父に向き合う。
部屋を覗きこむ顔には、あの時のような優しさが感じられた。
「いえ、大丈夫です。」
「ん、そうか。」
何度目か、俺はそれを壊した。
「…叔父さんこそ。体、大変じゃないの?」
「ああ、まあね。選挙前はこんなもんさ。もう慣れたもんだよ。」
まだまだやれるぞと言わんばかりに腕を廻して見せる叔父に対し、笑みを返す。
「ご飯出来てるんで、温めて下さい。あと風呂も、まだ温かいままの筈です。」
「いつもありがとな。助かるよ。」
「…いえ………こちらこそ。」
「…学校の方はどうだ?」
「そこそこですね。来週はテストのようです。文化祭も近いとの事で、慌ただしいみたいですね。」
「そっか、文化祭か。」
言葉の後、昔を思い出すような顔を見せた。その隙に切り出す。
「ああ後、今度時間が空いたら少し相談があるんですが、」
「ん?珍しい。今でもいいんだよ?」
嬉しかったのか、少し雰囲気が明るくなる。
「いや、今は話せる時じゃないと思うので。」
「うん。そうか。楽しみにしているよ。」
「はい。」
「じゃ、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
彼女の手がいつもよりほんの少し強く俺の小指を握っていた。
肌に触れているからか、それだけは理解できた。
再びベッドに横になる。いつ頃が良いだろうか?やはり選挙が終わった後か。どんな反応をするだろう。おおよその会話まで想定できた。でもそれ以上は止めて寝ることにした。
その時、俺は全てを諦観していた。
目が覚めると少女が立っていた。
「――――――――。」
「――――――――。」
「なんで」
「なんで生きているの?」
無垢なその瞳が、とても恐ろしかった。
朝日が眩しかった。隣の少女に目をやる。寝ているのか不明だが、目を閉じたまま俺を掴んで離さない。いつも通り体を起こすと、前触れもなく目を開け俺を引っ張る。
「着替える。」
独り言のように呟くと彼女は部屋を去る。
着替え終えリビングに行くと、いつものようにテレビの前のソファに腰かけていた。俺もいつも通りに座る。叔父さんはもう家を出ているだろう。朝も早く6時には家を出ているのを知っていた。
「…堅いだろうに。」
選挙とはまさに有事なのだろう。どれだけ実力があろうとも国民からの期待や信用がなければ落選。逆を言ってしまえばどれだけ無力でも嘘と方便で何とかなってしまう。落ちた者は次の日からは無職。怖い世界だ。そんな彼らを支える叔父もまた、良くやってきているものだな。と、そんなことを思う。
「………………」
小さくため息を吐く。遊んでいられるのは今の内だな。そう思うと体が重くなった。
これからどうするか――。改めて考える。そんな事をしている内に時間は過ぎていく。
――行こうか。どうせ今はそれしか出来ないのだ。味気の無い世界が俺を待っている。それが終わるまで、俺は流されていれば良い。重い体を持ち上げる。ああ、全て終わってしまえばいいのに。
そんな風に思える程につまらない世界へ、俺は旅立った。