WORLD -10-
山ケ野竜也はごく普通の家庭に生まれた。
父親はサラリーマン、母は専業主婦のありふれた家庭だ。彼は両親からそれなりの愛情を注がれていたと自覚している。一人っ子で少し甘やかされもしたかもしれないが、その愛に溺れてしまうことは無かった。それは彼の気質がそうさせたのかもしれない。
小学生になると、彼はたくさんの友達を作った。誰とでも良く遊び、慣れ親しんだ。他より小さかったけど、ケンカも強かった。彼がいれば理不尽なんて起きなかった。彼がそれを許さなかったし、何よりみんなの事が好きだったから。みんなの良さを知っていたから。
彼はみんなの為に生きていた。
中学に入ると、彼はいじめにあった。
理不尽だった。
圧倒的な力だった。
理解できなかった。
何故だろう―――。
彼はその頃、他より少し童顔で背も小さかったからかもしれない。或いは、彼の人気に嫉妬してかもしれない。
次第に、みんなは彼から離れた。簡単な事だ。自分が虐められたくないから。分かっていた。
だからみんなの事も許せた。
仕方がない。これでいい。
最良の選択だ。
自分一人で収まりがつくなら別に構わないと思っていた。
彼は今でも本気でそう思っている。
でも彼は諦めない。必死で抗った。
ただ―――。
つらかった。一人であることがこんなにも辛いものかと思った。
いつまで続くのだろうか。
ただ、怖かった。
会議している部屋の外の廊下で待っていると、田所と叔父さんが出てきたようだ。
何やら話をしている。
「待たせたね。」
廊下に出ると田所から声をかけられる。
「いえ。」
「ずっとここにいたのか?」
「少し辺りを回らせてもらいました。」
後ろの数人は些か怪訝そうな顔を浮かべる。
「んん。そうか。」
意図してそうしたわけでは無いのだが、満足そうにしている為良しとする。
「勝手に動くな。」
叔父さんの方は官僚の思惑を代弁した形となった。
「はい。」
叔父さんの目を見る。
私設秘書として働き始めてからは、家での印象もだいぶ変わったように思う。
以前ほど優しい雰囲気では無くなったと思う。でも俺にはそのくらいが丁度良かった。
「次は演説会だったかな?」
田所は歩き出す。
「はい。内容についてはこちらに。」
演説会の資料を手渡す。
「んん。少し余裕があるね。」
「三時から入場可能ですが。」
「んー、いや。実は君に紹介したい人がいてね。」
「…わかりました。」
わざわざ自分に合わせる相手――。見当もつかなかった。しかし聞いても答えるはずがない事も知っていた為、返事だけ返す。
「君達はここまででいいよ。」
官僚達に向け告げる。
「いや、しかし…」
その中の一人が下手に挑むが、
「いいと言っている。」
それだけ告げると何事もなかったかのように歩く。
「お、お疲れ様でした。」
彼らはそれきりついてくることは無かった。
「そう心配しなくてもいい。お堅い相手じゃない。」
「…はい。」
ますます想像がつかない。そのまま指定された場所に車を走らせる。
田所はその人物と連絡を取っているのだろう。後ろで会話が聞こえた。しかし今から会いに行く事、そしてそれを相手が了承したことくらいしか読み取れなかった。
目的の場所に到着する。
今日は何かイベントでもあったのだろうか。小学生くらいの子供達がわいわいと走り回っている。
その中に一人、男がいた。彼は少女に微笑み頭を撫でる。とても幸せそうだった。錬達を見つけると少女と別れ、こちらに近づいた。
「今日は研究室に籠っていないんだね。」
田所は男に話しかける。
「ええ。電話を貰ってからは外で待っていましたよ。彼らが楽しそうに遊んでいるものでしたから、つい。」
また会うことになるとは―――。
俺には見覚えがあった。
―――何故、俺は覚えていたのだろう。
一日に二度も知人に会うことになるとは珍しい。
田所が指定した行先きは大学だった。
家の近く。そう、彼が通っている大学だ。
「煉。彼はダニエル・ショシャン。魔法学の研究をしている学生だよ。」
ショシャンは俺を見つけると目を見開く。
「…君は、あの時の……!!」
彼もまた、自分の事を覚えていた。
「ん?知り合いかい?」
少し驚いたように田所は尋ねる。
「以前一度会ったことがあります。」
「あの時はありがとう。おかげでとても助かったよ。」
ショシャンは握手を求める。
すっかり慣れた日ノ本語は以前と比べてとても聞きやすかった。
「いえ。大したことでは。…ああ、狭山煉です。」
「ああ、よろしく。錬。」
挨拶を終えると、いくらか会話を交わす。
ショシャンが田所と知り合ったのは数年前、近くの喫茶店らしい。何故そんなところでと思ったのだが、とにかくそこで田所と会い、会話を交わすと、田所はショシャンの研究に興味を持ったらしく熱心に話を聞いてくれたようだ。以来定期的に会っているらしい。
ショシャンが研究しているのは一次変換魔法学だったから、田所はそこに何か見出したのかもしれない。
「そうだ、ダニエル。錬にも例の論文を見せてやってくれないか?」
「ああ…あれですか。しかし……。」
ショシャンはためらいを見せる。
「彼なら大丈夫だ。私が保証しよう。」
「…分かりました。田所さんがそういうのであれば。」
田所の言葉に彼は頷く。
「煉、今何時だ?」
「三時八分です。」
「んん、そうか。もう少ししたら出ようか。」
「分かりました。」
「すぐ取りに行きます。少し待っていて下さい。」
ショシャンは慌てて屋内に向かう。
「まさか知り合いだとは思っていなかったよ。いつ頃出会ったんだ?」
「四年程前に、一度。」
「四年か、良く覚えていたね。」
「…ええ。」
「お待たせしました。これなんだけど…暇があったら、読んでもらえないかな?」
ショシャンから例の論文を渡される。
「分かりました。」
「じゃあ、田所さん、煉、また会えるのを楽しみにしているよ。」
彼は笑顔で手を挙げる。
軽く一礼すると、車に引き返す。
「遅かったですね。」
車に戻ると叔父さんから一言。
「世間話が過ぎてね。四時には到着していたいんだが。」
「分かりました。煉、大丈夫だな?」
「問題ありません。」
そう答えて次の目的地に車を走らせる。
会場には既に多くの人がいるようだった。
裏口から中に入ると手筈通りに事を進める。
「田所さんはこちらで待機していてください。」
「んん。」
「十分後に事前説明、注意事項等の確認が再度入りますので留意してください。」
「んん。」
再び同じ返答が帰ってくる。
田所を個室に案内すると会場スタッフに再度進行の流れを説明する。
「では、よろしくお願いします。」
せわしなく動き回ると開始まであと十分近くになる。
「失礼します。」
「入れ。」
返事をしたのは叔父さんだった。
「開始まであと十分です。お願いします。」
「田所さん。」
叔父さんが促す。
「…んん、行くか。」
演説会が始まると自分も叔父さんも舞台袖にて待機する。随時進行予定と現在の進行状況を把握しておく。
演説会には田所の他に何人も名だたる議員達が席を並べる。彼らにも予定があるため一切の遅れは許されない。
「日ノ本のエネルギーのほとんどが…」
舞台袖からも田所の声が聞こえる。
「煉。」
ふと、叔父さんから声がかかる。
「どんな様子だ。」
「今のところ遅れはありません。」
「そうか。」
「開始直前の連絡だが。」
「はい。」
「一分弱遅い。もっと早く動け。」
「…分かりました。」
自分はまだ甘いようだ。
しかしそれくらい精密に動かなければならなければならないのがこの仕事なのだと知っている。
演説会も無事終わると、裏では田所の所に挨拶に来る議員が現れる。
開始前にもそういった光景は見られたし、議員からもやはり一目置かれているのが解る。
「またよろしく頼むよ。」
田所はその挨拶に適当に区切りをつけると歩き出す。
それを聞くと、車へ案内する。
「長かったねぇ、意外と。」
「お疲れ様でした。」
叔父さんは田所に一礼する。
「帰ろうか。」
車に乗り込むと、外を眺めて退屈そうにも見える顔で告げた。