WORLD-13-

 

 

 

 

 

 

 

一人の男がいた―――。

自分の親に裏切られ、兄弟に裏切られた。

それでも彼は登りつめる。

 

彼は圧倒的劣勢を覆した。

彼は自らに対する度々の謀反を許した。

彼は自身の道理に対して厳格だった。

彼は必要なら女子供までも殺した。

 

 

そして、彼は神になることを望んだ。

崇め、奉られることを。

 

何故だろうか―――。

私には理解できない。

人の分際で、何故神になれるのだろうか。

 

 

 

 

 

所詮、人は人であるというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨は止まない。

自室、今までずっと置き去りにされていた彼の論文が目に入る。

こんな時に何故、俺は読みたい衝動に駆られるのだろう。

彼の名残をそっと手に取る。

 

 

 

 

 

 

 

現人類のルーツとマナの正体

 

2013,9,10

ダニエル・ショシャン

 

はじめに、この論文の題目を目にした人の中には少なからず驚いた方もいるだろう。突拍子のない題目があなた方を幻滅させてしまったかもしれない。それでも私はずっと疑問だったのだ。だから私は書こうと思う。私が今回この論文で問題にあげたい内容は既に題目として挙げさせてもらっているが、論文の構造に則り、あえてもう一度上げさせてもらうと以下の二点になる。

 

1)現人類のルーツ

2)マナの正体

 

私は1次変換魔法学を研究するものとして今までマナについての論文を上げてきた。その私が何故人類のルーツを、更には“現”という言葉までつけて題材にあげたのかをこれから説明させて頂く。

 

定説では、人類のルーツ(ヒト属)は200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から分化し、40~25万年前にホモ・サピエンスが発生したとされている。

40万年前から25万年前の中期更新世の第二間氷期までの間に、旧人段階であった彼らの頭骨の拡張と石器技術が見られ、これを期にホモ・サピエンスへ移行したと見られている。

そして紀元前3500年頃に人類初の文明、メソポタミア文明が生まれた。というのが大筋の流れである。

 

話を2)のマナの正体に移させてもらう。

マナの発生時期については今日まで不明とされている。

それ故、マナが一体いつ頃から発生したのかという研究もしてきた訳だが、調査の中で疑問に思ったことがあった。

その疑問を書きだす前に、現在有力とされているマナの起源説を紹介する。

多くの起源説が存在するマナであるが、有力であるとされるのが以下の2点である。

 

1)地球という惑星ができる過程でマナが生まれたとされる説

2)地球には元々マナは存在せず、隕石によってもたらされたとされる説。

 

古代から現代にいたるまでマナは有限とされてきた。しかしその証明は今まで誰もが成しえていない。

私はマナの研究を始めた当初から、地質学の観点でマナの発生時期を調査している。

各年代の地層から微量のマナを検出してその時代のマナの濃度を測定するのだが、B.C15000年あたりの調査だけはどうしても許可が下りなかった。それが気になり、調べてみると、過去にもその年代の地質学的調査の申請をした学者は幾人もいた。

私と同じように、マナの起源を探る為や、考古学的な調査の為というのもあった。

しかし結果は同じだった。どの国でも、である。

2つ目に、余り知られていないが隕石からマナの濃度を測定した実績が1つある。これは冷戦時、アメリカが宇宙進出の際にNASAの調査した結果である。(今ではその記録は残っていない)その結果、隕石からほんの僅かだがマナを検出することは出来たのだが、例えそれが地球並みの惑星だとしても採算の合わない程微量であった。これは1980年代の話で、測定機器が開発され始めた当初であり、精度が悪いため検出できなかったという意見もあるが、私にはどうにも腑に落ちなかった。

更に他の惑星のマナの濃度測定の結果はどの国も公表していない。

 

それらが私の定説への疑問を抱かせる原因であったことは間違いない。

 

地質学的な調査が不可能であれば今までとは全く別の観点からマナの正体を探る事になる。そして私は民俗学、聖書などからもマナの正体を探すことになった。

また、その過程でマナの発生に人類が絡んでいるのでは?という疑念も浮かび人類のルーツも同時に調べていくことになったのである。

 

結果、私は日ノ本に興味を持つことになる。日ノ本を調べようと思ったのはこの国の歴史的文献がギリシャ神話や聖書など世界各地の歴史的文献と不思議と多くの類似点が見られることからである。

日ノ本は世界でも歴史ある国として知られているが、いざ調べてみると思っていた以上に歴史のある国である。オカルト的なものまで含めるとその歴史は更に深い。

今思えば、私はここに何かあるのではないかと直感にも似た何かを感じていたのかもしれない。

 

その直感を元にこの日ノ本という国を調べていくと、定説より以前に大陸との交流があったと思われるものがいくつも存在していた。

しかし、肝心のマナについての手がかりはなく、3年の時を費やしていた。

私はあらゆる物に手を付けた。世間ではオカルトと言われるものにも手を出した。それでも見つからず、私は半ば諦めかけていた時だった。

何故だろう。

ふと、私はこんな事を思い出したのである。

日ノ本では数字をひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり。と数える。

これは日ノ本を調べていく上で知った知識である。

最後の“たり”と言うのは10の事ではなくここで終了。これで全て満たしている。と言う意味である。

私は疑問に思った。同時に、何故私はその時に疑問に思わなかったのだろうかと不思議に思う程だった。

何故9で全てなのだろう。何故こんなにも中途半端な数字で満たされていると考えたのだろうか。

そして私は突然に、マナの手がかりを見つけた。そう確信するのである。いや、この国に来た時から私はそれらに囲まれていた。それをこの時ようやく知覚したのである。

 

 

次の図を見ていただきたい。

図1)

 

これこそがマナの源であり、同時に人類が太古に偉大な文明を持っていた証拠である。

お分かり頂けたであろうか?

 

これは日ノ本で使われている文字である。

古来から、ここ日ノ本では歌や童謡に意味を秘匿してきた。その例はいくつも存在すると言われ、例えを挙げると切りがないためここでは控えさせていただくが、この中にもそれは存在している。

少し話を戻らせていただく。

何故1~9という中途半端な数字で満たされているのだろうか。

それを再び考える、いや考え出した瞬間に内に私の中に奇妙な事が起こった。

突然に、ギリシャ神話に描かれるウロボロスの輪を思い出したのである。

鮮明に、頭の中にそれが浮かんだ。

何故だろうか。全くわからない。まるで何かに意図されているようにそれを思い出した。

そしてふと気づくのである。

世界各地で似たような思想がいくつもある事を。

 

円環の理論

それが思い出された。

私は早速それを当てはめることにした。

0と9を蛇の頭が自らの尾を咥えるように同じ0として表した。

この123456780の数字の並びをひふみ数と呼ぶ事にする。

そしてひふみ数をアイウエオ表に乗せたのである。

それが次の表である。

 

 

 

 

図2)

 

これは右上から縦にひふみ数を並べたものである。

図にあるように横列の総和をひふみ数で表すと両端にひふみ数が現れる。

更に次の図を見ていただきたい。

 

図3)

これは右上から横にひふみ数を並べたものである。

図のように横列の総和をひふみ数で表すと両端にひふみ数が現れる。

それだけでなく、右から二番目、三番目と数字は整然と並ぶ。

 

図2に戻る。

 

表の下の数字は縦列それぞれの総和を表したものである。

それらをひふみ数に直せばひふみ式の2の段が現れる。

また6と6を重ねた時の総和は36、36をひふみ式で表せば0となる。

図3に戻る。これも先程と同じ要領で縦列の総和を表の下に表す。

ひふみ式の四の段が現れている事がお分かりになるだろうか。

 

またひふみ式の九九では下図のように全てが0で囲われている。

そして四隅どこからみても全ての段が現れるのである。

お分かりいただけただろうか。

そしてこれと同じものが日ノ本の遺跡から出てきたのである。

 

百歩譲ってこれが偶然の産物だとしよう。

仮にそうだとしてこれは無視すべきものだろうか。

 

これを読んだ貴方は理解したはずだ。頭ではなく、体が。

圧倒的な存在に体が震えたのではないだろうか?

少なくとも私はそうだった。

体で理解して逃れられなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで俺は遺物から手を放す。

少女を見やる。

彼女は変わらず、俺の傍にいた。

濡れた手が温かいような気がした。