WORLD -2-

1.

 

 

 

 

「正義は必ず勝つ!」

 

画面の中の主人公らしき人物はそう叫び、賞賛されていた。

 

俺はテーブルからリモコンを取り、無言でテレビのスイッチを切る。

無駄のない、少し質素な、ごくごく一般の家庭のリビング。

 

 

「―――――――――――」

 

 

 

両膝につけた両肘に体重をかける。

溜息まじりの一息。

ソファに座ったまま動こうとはしない。

 

 

 

隣に座る少女もまた動かなかった。

しかし少女は背筋を伸ばし、視線をまっすぐに保ったままだ。

 

 

 

ただ、そのまま。

 

 

 

 

 

 

「おお。早いな。」

唐突に声がかかる。

「…まあ」

かろうじて聞き取れるくらいの声だ。

「…ん、そうか。じゃあ、行ってくるよ。」

声の主はネクタイでも締めなおしたのか、服の擦れた音を残して家を出た。

 

 

 

何事もなかったかのように沈黙が続く。

目を閉じて、ただ時間が過ぎるのを待つ。

 

 

「――――――――」

 

 

行こう。

青年は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 時は2010年。ここは日ノ本(ひのもと)と呼ばれる島国である。世界の最東端にあり、人口は約1億3000万。四季があり、自然は様々な表情を見せる国である。島国であるが故、他国からの侵入が少なかったというのもあり、独自の文化を築いてきた歴史がある。その為、様々なものが目新しく映るのだろうか、外国からの観光者も多い。前世紀にあった戦争で壊滅的な被害を被ったにもかかわらず、100年も経たずして世界屈指の大国に登りつめ今に至る。

 その過程で多くの自然や文化財が失われもしたが、それでも尚、それらが多く存在する国である。だからだろうか、大国の持つテクノロジーと古から残る文化とのイメージの狭間に困惑する異邦人も多いと聞く。

 現在では、大国の技術(テクノロジー)とその独自性(アイデンティティ)を生かし、主に輸出産業で国内経済を潤わせていたが、一昨年に起きた世界恐慌の影響で大きな通貨価値の変動が発生。比較的安定的な日ノ本の通貨を各国の投資家は求め、結果、日ノ本の通貨価値は上がり、輸出産業に多大な影響を及ぼした。家庭の経済状況は悪化。購買意欲は低下し、国内需要は落ち込む。更に会社の経営は難しくなるという悪循環。いくつもの企業がこの2年の間に斃れた。この事態の対応に政治家達は立たされる事となるが、昨今政治家と大手企業の癒着が発覚し、それまで約40年間に渡りこの国を支えてきた党派は与党から転落。新しく与党となった党派にはこの状況を乗り切るだけの手腕を持った人間がほとんど存在せず、また、今までに1度も与党として国を舵取りしてこなかったというのもあり、この未曽有の危機を乗り切ることはできないでいる。

それが今の日ノ本である。

 

 

 

 

ガラッ

 

少しうるさい教室のドアを開ける。

教室内の目線が一瞬こちらに向けられ、すぐに散る。

「よう」

席に向かう途中、声をかけられる。声の主と目が合う。

「…ああ」

そう答え、すぐに目線を自分の席へと向かわせる。

「お前、あいつと仲良かったっけ?」

「…別に?」

「んー…」

「何?」

「あいつ。ぜってー性格悪いぜ?」

「話したことあんの?」

「いや…ないけど」

「ふーん。そう。」

声は抑えられていたがそんな会話が自分の席からでもよく聞こえた。

 

少女はいつも通り、俺の学生服を掴んで離さない。

ただじっと、捕まえた右袖を見つめている。

だから俺も、いつも通りに1時限目の授業の支度をする。

 

いつも通りの日常が過ぎる。

 

 

 

放課後、俺はそそくさと帰り支度をする。

「なあ」

珍しい。そう思った。今日で二回目の他人からの接触。鞄から目を上げる。

「…今日、一緒に帰んねえ?」

相手は俺の目を見ている。返答を待っているらしい。

「…ああ。問題ない。」

「そっか。」

少しだけ微笑みを浮かべた後、

「じゃ、そういう事だから。俺、狭山と帰るわ。」

山ケ野は少し離れたところにいる2,3人に向け意思の伝達をする。

「え…あ。ああ…」

その中の一人が呆気にとられた様な表情で返事を返す。

「じゃ、帰るか。」

俺の方に向き直り、そう告げる。

「…ああ。」

支度の完了した鞄を持ち上げ、教室を出た。

 

 

 

一緒に帰るといっても、無言だった。少なくとも今のところは。

どこまで帰り道が一緒なのかもわからないが、俺の左隣を歩く。

「…狭山ってさぁ、」

 家まであと半分くらいかといったところで同行者に声をかけられた。視界の端に移る表情には少し笑みが浮かんでいた。

「変わってるよね。」

「…かもね。」

妥当な返事を返す。

「なんていうか…」

少し詰まって、馬鹿にしたような、自嘲的にも見える笑みを溢して、

「目立つ…」

地面を眺めながら独り言のように呟く。

「フッ…」

今度は俺が山ケ野のした笑いを溢す。

右隣の少女はゆっくりと、いつもと変わらぬ無表情な顔で俺を見上げた。

「…そうだな。」

目立つ。的を得た表現だと思った。昔から今までいつも、全てにおいて。そして恐らく、これからも。

「…何も思わねーの?」

目線だけ、こちらに向けているのが判る。

「……別に。」

「ハッ…………ああ、そう。」

今度は先ほどの感情に加えて別のものも混じっていたと思う。

それで会話は終わった。

 

「俺、こっちだから。」

会話が途絶えて数分後、山ケ野は横断歩道を渡る。

「じゃあ。またな。」

渡り際に軽く手を振られる。

「ああ…」

短い返事とともに軽く手を挙げて答えた。

「フッ…」

変わらぬ笑いをしてから山ケ野は背を向けた。

 

まともな奴だな。少なくとも他の奴よりは、そう認識した。

 

 

 

 山ケ野と別れて数分。帰り道に通る商店街の入り口、今日はそこに何人か、他の学校の生徒だろうか―。がいた。近づいてみると、見るからに弱気そうな一人が他何人かに囲まれているのが確認できた。

「ねー。良いでしょ?お願い!お金足りなくてさぁ…」

通り過ぎ様にそんな声が聞こえる。ほぼ同時に、囲まれ、集られている生徒からの目線を感じた。

 

 

正義は必ず勝つ!

 

ふと、そんな言葉が過った。

「ハッ…」

 嫌悪して笑う。あの主人公がこの現場にいたらどうしただろうか。説得するか?それでも駄目なら戦うのか?正義とやらの為に。正義なんて見方の違いでしかないのに。仮にあの主人公が超人的な力を駆使してあの集っている生徒を正義の名のもとに殴ったとして、それは良い事なのか?仮にも人を傷つけているのにそれは正義と言えるのか?他の通行人が見たら、ただ主人公側が一方的に殴っているようにしか見えないだろう。手段が説得だったとしても、変なやつに絡まれた学生がいる。と学生を助けようとする人がいるかもしれない。その人にはなにがどうあれ主人公こそ悪であるのだろう。

 悪とされた人達にも、なにか事情があったかもしれない。家が貧しくどうにかしようとしているとか…。理由などいくらでもある。それを正義とやらは無視して、相手を純粋な悪と決めつけるのだ。その勝手な当て付けに青年は怒りを覚える。

いつからか、青年は正義を憎んだ。特別何か大きな事件が彼を変えたというわけではない。しかし、正義が行うような勝手な当て付けが、青年を幼い頃から襲っていたのである。故に、青年は早すぎる頃から正義の正体を知ったのかもしれない。

 

 

世界とは何か。

神とは何か。

 

 

これが青年の興味を引く数少ない物の中で、最も欲する物である。

これ以外の事はほとんど考えていなかった。

 

 

山ケ野と別れた後も、いつも通り俺は考えた。

隣を歩く少女は、少しだけ笑っていたような気がした。