WORLD-3-

山ケ野と帰った翌日、普段通り学校へ向かう。

右袖を掴む少女は、夏も終わりこれから日が短くなるだろうに、変わらない白のワンピースを着ている。寒くないのだろうかと心配したこともあったが、杞憂であった。

 

ガラッ

 

教室に入ると、いつもの視線を感じ、そしていつも通りに散る。

「よお。」

山ケ野は俺に声をかける。

その声は少し挑発的なものであった様に思う。

「ああ…。」

昨日と同じように返事をし、席へ向かう。

「どうしたよ?」

山ケ野の隣にいる生徒は声色の変化に気づいたのだろう。

「…別に。なんでもねーよ。」

若干の笑みを浮かべた顔で返事を返す。

「なんでもないってことは無いだろ。……昨日、なんかあったのかよ?」

仲間はずれが悔しかったのか、単なる好奇心からか。真意は定かではないが生徒は食らいついた。

「別に。ただ話しただけ。」

「話しただけって…じゃあなんだよ。それ。」

「…それって?」

山ケ野は微量の笑みを溢す。

「明らかに…違うだろ。昨日と。」

「フフッ…かもな。」

山ケ野の視線が一瞬こちらを向く。

「やっぱりあいつ、バカにしてただろ。俺らの事」

「馬鹿にする?それはないんじゃね?」

「じゃあ、なんでだよ?」

「別に、なんでもねーって。気にすんな。」

そういって山ケ野は手を仰ぐ。その表情には呆れが見えた。

「はぁ?なんでだよ!おい!」

山ケ野の隣の生徒は声を荒げる。

「あー、わーったわーった。別に、なんも思ってねーってさ。」

「はぁ?意味わかんねぇ。」

「だから!どう(・・)()()思ってねーってさ。」

「じゃあ何で…」

大きくなっていた声はここにきて聞こえるか聞こえないかくらいまでに落ち込む。

「あーもういいよ。つか、朝礼始まるぜ?」

山ケ野も疲れたのか話を逸らした。

もう一方も、もう問いただしはしなかった。

 

山ケ野は昨日の数少ない会話で理解したのだろう。俺がどういう人間であるか。俺にとって、狭山 煉にとって周りがどういうものであるかということを。そしてそれ(・・)が山ケ野に、あんな声色で声をかけさせる原因であることを俺は知っていた。

 

知っていたのに、そうした。

 

袖を引く力が強い。嬉々とした表情が俺を見るのを知覚する。

 

 

 朝礼も終わり、周囲が1時限目の支度をする。

隣から生徒たちの会話が聞こえる。

「1時限目ってなんだっけ?」

「んー?確か―――。」

 

 

 

 魔法学――。世界中に存在するマナと呼ばれるエネルギーを、人間が扱える形に変換、物質に保管し、意識的にマナを充填、放出する為の学問である。魔法学と一口に言っても、その内容は多岐にわたる。代表的なものは、基礎変換魔法学、応用変換魔法学、物理魔法学、精神魔法学、変性魔法学などが挙げられる。

 基礎変換魔法学とは大気中のマナを人間が扱える状態にすることを目的とした学問であり、より簡易的にマナを変換する術を研究する学問である。対して応用変換魔法学とは、どれだけ効率的にマナを変換、充填するか。ということに重きを置いた学問である。この二つは一般に1次変換魔法学と称され、高度な専門性を有する。

 残る物理魔法学、精神魔法学、変性魔法学などは、物質に供給された人間が扱える状態のマナをどのような形で扱うかで別けられる。これら1次的に変換されたマナを再度変換し、発現させる事を2次変換技術と呼び、またそれらを学ぶ学問を総称して2次変換魔法学という。

 他にも人里離れて暮らしてきたような人達や世界各国にいる少数民族の中には、独自にマナの使用法を編み出して扱う人たちがいるらしい。

マナと呼ばれる不可視の存在が知覚され、扱われ始めた時期には諸説あり、定かではないが、世界各国に残る多くの遺跡にその痕跡(・・)を見ることができる。

 

 

 

「…マナは有限と言われており、必要以上に使用することははるか昔から避けるべきであると言われてきました。太古ではマナを変換することができるのはごく限られた一部の人で、それ以外の人達には変換方法は教えられませんでした。古代から中世頃までは、そういった限られた人達から変換されたマナを買い取り、使用していましたが、とても高価で多くの民衆の手には届くものではありませんでした。マナを変換することができた一部の人たちは自らを貴族と称し、絶大な権力を持ちました。しかし中世以降、そのままでは使用できないマナを人が扱える状態に変換する装置、魔動器(マナコイル)が開発されました。当時は技術的に未熟で、変換できる量はごく微量でしたが、マナを変換する技術は劇的に広がり、成長していきました。この急激な魔法学の成長を再生(ルネサンス)と言います。そして昨今では魔動器(マナコイル)を通してなら誰でも簡単にマナの供給ができるようになりました。」

一人の生徒が教科書を読み上げた。

「よろしい。座っていいぞ。」

教壇に立つ教師は生徒を座らせ、一息つくと語り始める。

「しかし安全に、且つ長期にわたって安定的に使用できる魔道器の製造は今の技術を持ってしても難しい。結局、企業がマナコイルを貸し出す形で各家庭にマナを供給しているわけだから、私たち民衆からしたら金をとられる相手が変わっただけかもしれないがなぁ。」

感慨深そうに、教師は嘯く。

教科書の話を補完するならば、貴族と平民の間にはマナを巡って大きな確執があった。貴族の中にはマナが生み出す力を元に平民を押さえつけ、苦しめ、搾取してきたものも少なくない。故に力関係に大きな差がありつつも、世界各地で幾度も平民による貴族の拉致、拉致未遂事件が起きているが、全てが徒労に終わっている。なぜなら貴族の全てがマナを変換できる訳ではなく、大抵はマナの変換方法を知った者の親族や、当時から政治、経済、軍事的に力を持っていた協力者であった。実際にマナの変換方法を知っていたのはその中のごく一部の人間だけで、またそういった人たちは秘匿的に扱われていたため、平民は勿論貴族でも誰が変換方法を知っているのかを知る者は少なかった為である。

日ノ本でも同じような事件は過去にいくつも起きていたようであるが、他国とは違い、マナを変換する術はある程度広まっていたようである。日ノ本の軍人はマナの変換方法を知っていて、且つ2次変換する技術は当時も世界に誇るものであったと言われている。しかし相手国のマナ以外で発達した圧倒的な技術、物量の前には敵わず敗戦。終戦後僅か1年の間にマナに関する資料は棄却、焚き書され、マナの変換方法には戒厳令が敷かれてしまった。特に1次変換技術に関しては徹底的で、戦後、戦前の1次変換技術に関する資料は見つかっていない。

 

「…っと。ま、法外な値段で売られず、自由にマナを扱えるようになったんだ。それだけでも大きな進歩だな。さて、ここで疑問になるのが、古代からマナが有限であると言われ続けている根拠だ。分かる奴いるか?」

教師はあたりを見回すと一人の生徒を名指す。

「狭山、解るか?」

どうしようか迷ったが、素直に答えることにした。

「……マナを一度に大量に変換した場所では通常よりマナの変換に時間がかかったり変換出来なくなる事があるからです。」

「ああ、そうだ。」

視界の上の方に映った教師の目はいつもそのくらい真面目に授業を受けろと釘を刺しているように見えた。

「それが現在までマナが有限とされている主な理由だ。マナの枯渇する時期については諸説あるが100年とも500年とも言われている。」

実際のところ、マナが有限である証拠は掴めていない。しかし何故マナが有限であるとされているかと言えば、単に都合がいいからである。それは歴史が証明している。

マナを有限とする説に反して無限である説も唱えられた。しかし、他の資源が有限であることや、無限であることもまた証明されている訳ではない為、その説を唱える者は僅かであった。

「あと5分か。各自ノートを取ったら終わるように。狭山が言ったところはテストに出す予定だから憶えておくように。」

教師の言葉に焦ったかのように生徒たちはノートに向き合う。

俺もノートに向き合う。

 

神とは何か?

世界とは何か?

 

今日もそれ以外どうでもよかった。

 

 

 神とはきっと、好奇心旺盛なのだと思う。少なくとも、人であったら性的に興奮を覚えてしまう程に。そう思っていた。本当に神が人を生んだというのなら。神が作ったのだというのなら。きっとそうなのだろうと。俺は予感していた。

 

 

 

 1日を終え帰路に着く。日の出る時間は短くなり、外は既に紅かった。ふと校舎の窓から外を見ると何人かの生徒達が集まって作業をしていた。何かの準備だろうか。口を動かしながらもせっせと働いている様子がうかがえる。

―――こういうのは、悪くないな。

口には出さなかったものの、そう思った。彼らを遠くに感じながらもどこか満ち足りていた。

「そういう笑い方もするんだな。」

聞き覚えのある声だった。

「悪いか?」

視界の端に人影をとらえた。

「別に。…文化祭の準備だろ。早いところはもう動いてる。」

「…何を聞きに来たんだ?」

雑談しに来たわけじゃないのは理解していた。

「大体予想ついてんだろ?」

「まあ。でも推測でなく事実として知りたい。」

「はっ!何で答えなきゃいけねーんだよ。」

山ケ野は苛立ちを隠さない。

「頼む。」

「――――――。」

 

「…お前の推測ってのは?」

「自分とは感性が違いすぎて理解に苦しむ…とか。」

俺の推測に山ケ野の表情は歪んだ。

「っ………でもな!それだけじゃねーよ。」

青春を謳歌しているであろう生徒達から目を外す。

「………気にくわねーんだよ…」

絞り出すような声で言う。俺を睨む青年の姿を捉えた。

「…何が?」

生き方が、だろう。解っていても聞いてみたかった。彼らが俺を疎う理由を。

「神にでもなったつもりかよ。」

「なれたなら――――。」

 

 

 

「……なれる筈がない。」

 

山ケ野は、何も言わなかった。

 

彼は隣に立った。少し彼らを眺めた後、彼は口にする。

「…どうでもいいんじゃなかったのかよ?」

純粋に疑問に思った事を口にしているのだと思った。

「ああ、ないな。」

再び、彼らに向き直る。

「…さっきの笑いはなんな訳?」

「別に。」

「仲間に加わりたいとか?」

「まさか。」

いつものように笑った。

あの中に入る?その結果どうなるかくらい山ケ野にも想像はつくだろうに。山ケ野なら理解していると思ったのだが。

「にしては、なんていうか…諦めたみたいだったな。」

「…かもな。」

山ケ野も笑う。

「あっそ。お前さ…田村も言ってたけどやっぱり馬鹿にしてるのか?」

「まさか。」

正直田村が誰か認識していなかったが、いつも山ケ野の隣にいる生徒だろうと推測する。

 

 

「ゲートボール。」

「…は?」

怪訝な顔で反応した。気にせずに続ける。

「知っているか?」

「…まあ。じっちゃんとかよくやってるやつだろ?」

「ああ…。ルールは?」

「まあ…何となく。」

「それと一緒だ。」

「はぁ?…………………ああ。」

一瞬怪訝そうな顔に戻るが、数秒の後理解したようだった。山ケ野の理解力の速さに感心する。

「……お前といるとこんな笑い方しかできねぇ。」

いつも通り、青年は嗤った。

 

 

…悪いな。

頭の中で呟いた。

 

 

例えとしては適切だと思う。

やっていることは理解できる、ルールもある程度理解できる。でもそれ自体に興味は無い。人生を走り切った彼らの余生を楽しむ姿を外から眺めている。彼らの世界を眺めていたい。そんな感じだ。その中に若い少年でも一人入ったとしよう。良くも悪くも空気はきっと変わる。少年の場合、結果はプラス側に傾くかもしれない。ただ俺は逆だ。総和は必ずマイナス側に傾く。だから外から眺めていたい。犯さず、犯されず。文化祭の準備をしている彼らだけに言える事ではなく、俺の中でそれはほぼ全てにおいてそうだった。

 

 

気づけば、彼女は退屈そうな目で袖を引っ張っている。

そんな目をされても困るのだが。

 

「本当に、どうでもいいのかよ。」

「興味がないんだ。」

納得させるのにはこれが一番だろうと思う。

「じゃあ、何に興味持ってんだよ?」

「…世の中に。」

彼はまた嗤った。それにはいつもより強い諦観があったことを認識した。

 

「…お前、来年どうすんだよ。」

それでやっていけるのか?とでも言いたいような目だ。

「就職しようと思ってる。」

「は?大学行かないの?お前」

山ケ野には意外だったらしい。こちらに顔を向けた。

「学びたいことがあるから行くのが道理だ。」

「そんなこと言ってるやついねーぞ。今時。」

馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの声色で告げる。

「だろうな。まあ…目途はついている。」

「へえ、そうかよ。」

興味ありそうな目をしていたと思う。しかし何も聞かず、じゃあな。と言い残しその場を立ち去る。

 

「山ケ野」

「ああ?なんだよ。」

面倒くさそうに答える。

「…お前はいいとこまで行くだろうな。」

「フッ…馬鹿が。余計なお世話だっつの。」

彼は帰路に着いた。