WORLD 5~8

3.

 

 

 

テストが終わった。午前中で終了した学校、昇降口から出たところだった。

「――先輩っ!」

明るい音が聞こえた。それが自分に向けられていることが分かった。眩しいくらいの笑顔がこちらに向かってくる。

「ああ…。」

「ああ…じゃないですよっ!先輩、今日は部活来るんですか?」

「ん…ああ。」

「そうですか!良かったです!」

嬉しそうな顔が隣に並ぶ。

「先輩はテストどうでした?」

「まあまあだったと思う。」

「私、今回は自信あるんですよ?」

彼女は意気揚々に告げる。

口元をなぞる。相変わらず元気な子だ。見ているこちらまで明るくさせる、そんなものを新田千穂は持っている。大抵彼女の話を聞くばかりなのだが、彼女といるとそれが苦ではない。むしろ楽しいと思っている自分を認識している。それは自分だけでない。彼女の周りの人間全員がそうなのだろう。悪い印象を持っている人間はいないように見える。俺といるべきなのかと考えることもあったが、考えたところでどうしようもない事だった。

「せんぱーい?聞いてます?」

「ああ…ごめん。」

「また考え事してましたでしょ?」

少し顔が膨れる。不覚にもその顔が愛おしく思えてしまった。

「…ああ……ごめん。」

彼女はくすくすと笑った。全く、彼女といると調子が狂う。

他愛も無く彼女の話を聞いていると、正面から生徒が走ってきた。弓道部だろうか。袴を穿いている為少し目立つ。彼の目が彼女を捉えた。刹那、心をも彼女に奪われるのが解った。が、俺を認識すると彼の心は淀む。そのまま過ぎ去る。一瞬の恋。そんなものを見た気がした。別に彼女とはそういった関係ではないのだが。

「1週間ぶりですからね。体が忘れてないといいんですけど。」

それに気付かない彼女は話を続ける。

「感覚を戻すのに多少時間はかかるだろうが…大丈夫だろう。」

 

煉が神や世界の理の他に興味を示す物の中の一つが音楽だった。きっかけは単純に高校入学の際、吹奏楽部の部活勧誘に巻き込まれたというだけなのだが。1度楽器を吹いた瞬間その魅力に魅せられ今に至る。

 

「先輩は上手いからそういうんですよ。」

「どうだろうな。」

確かに、魅せられた瞬間から練習は惜しまなかった。土日練習の際は大抵一番早くに来て一番最後まで残っていた。昼食を摂る時間さえ無駄だと思い削っていた。しかしそれらが全く苦では無く、むしろ愉しんでいた。それくらい熱中していた。周りから見た自分は恐らく異常だったと思う。

「知ってました?先輩がサックス吹くと静かになるんですよ?」

何故か怒ったような顔で言われた。

確かに吹き始めに周りの音量が下がることや視線を感じることが幾度もあった。正直、監視されているようで余り良い気分ではない。

「何故だろうな。」

自分の持つ雰囲気がそのまま音に表れているのだろうかと思う。それなら納得できなくもないと思うのだが。しかし結局、それは推測でしかなかった。

「…なんていうか、聞かなきゃいけないような気がするんですよね。」

「どういうことだ?」

それには少し興味があった。

「んー……言葉で言えない何かこう。訴えかけてくるような何かがあるんですよ…多分。」

曖昧な答えではあったが、彼女のいう事が何となく理解できた。

俺はその()()を表現することが好きだから音楽をやっているのだと思う。

「そうか、ありがとう。」

「へ・・・?あ、はい。」

一瞬きょとんとした顔になるが、それだけだった。

 

 

「みんな来ないですね…。」

練習場にて、楽器の準備をしている時だった。

「テスト後だからな。いつものことだろう。」

何人かの生徒は同じように楽器の準備をしているのだが、その数は半分にも満たなかった。

 この学校の吹奏楽部の練習場は体育館の横、元卓球部の練習場を使っている。こんな処が練習場な理由は、ここ10年以上、大会、コンクールなどで十分な結果を上げられていない。また、生徒の部活出席率、離籍率その他諸々。音楽室は毎年県大会出場は勿論、地方、全国大会が当たり前の合唱部が使用している。卓球部が廃部したのをきっかけに当時の顧問が占拠したらしい。

「もー。こんなんだから…。」

文句を言いつつも新田は自分の担当する楽器であるコントラバスを取り出し、音を奏でる。体の倍以上あるだろうかという楽器を慣れたように扱う。普通彼女のような小柄な生徒は小さめの楽器を扱うことになるのだが、彼女は入部してコントラバスを見た途端、これが良い。と、顧問と当時の三年生へ懇願して勝ち取ったのである。万年地区大会の結果が下から数えたほうが早いこの学校だからこそ、可能だったことかもしれない。

 

でもそんな与太話はどうでも良かった。俺はただ楽器に触れて、奏でられて、上達できるのなら何だってよかった。この部のいきさつなんて、他人の事情なんて関係ない。

準備を終えると深呼吸。キーをカチカチと鳴らした後、数秒の間をおいてから奏でる。冷たいような、しかし確かに()()を持った飾り気のない音が世界を満たす。

 

サックス。正式名称サキソフォンは、ベルギーという国が起源である。木管楽器でありながら金管楽器との調和が取れるという利点があり、当時の軍楽隊を中心に広まった楽器である。当然欠点もあり、当時から言われてきているのは楽器自体の性質として、ピッチが悪く、音の高低が取りづらい等がある。このピッチが合わないと音を合わせたときに歪んで聞こえてしまう為、昔は嫌煙する他楽器奏者もいたようだ。現在では改善されてきているが、構造上、完璧に修正することは出来ていない。

煉の使っているアルトサックスは日ノ本の企業、AHMAY製である。楽器というのは総じて、その民族の感性に合わせて作られる。起源こそ遠く離れた異国の地ではあるものの、日ノ本で、日ノ本の会社が作る楽器は当然、日ノ本人の好む音質になる。このAHMAYのAHS-875 Customは音に濁りがなく、重厚で透明感のある豊かなサウンドが特徴である。日ノ本ではこういった音質の物が好まれがちであるが、欧州では弦楽器のような音質が多くに好まれる為、そこで作られるサックスなどの吹奏楽器もまた、弦楽器に近づけるためにわざと音の透明感を無くしている事がある。

 

顧問もテスト明けということで忙しく監督出来ないとなると結局、今日は自主練という形になったようだ。普通の部活では考えられないかも知れないが良く言えば自由、悪く言えば堕落しかけているのがこの部活である。

 

「狭山先輩。」

肩を叩かれて我に返る。

「ああ…。気付かなかった。」

練習を中断し振り向く。

「ふふっ。相変わらずですね。」

「んん…。」

曖昧な返事をする。

一度楽器を手にすると周りが全く見えなくなるのは自分でもどうしようもない事だった。どうにかしようとも思っていないのだが。

「あの…相談があるんですけど、いいですか?」

 

気付けば、とっくに日は落ちていた。

 

 

 

「私、このままじゃダメだと思うんです。」

練習場から部室に戻るやいなや、彼女はそう告げる。

「そうだな。」

確かにここ最近、何人かの生徒の部活出席率は著しく低下しているのを俺でさえ感じ取っていた。

「もう半年になるのに…。」

現在は二年の生徒が部活を取りまとめている。三年は梅雨時にはもう引退して今の時期には受験勉強に勤しんでいる頃である。それに当てはまらない生徒は既に進路が決まっている者か、煉のような変わり者だけである。

「一人一人のやる気の問題だからな。」

「そうなんですけど…。」

寂しそうに俯く。

「ミーティングでも開いたらどうだ?」

「それは…前に一度開いたんです。それで決まったことを実践してみたんですけど…。」

「前に練習メニューが大きく変わったのはそういう事か。」

「でもあんまり変わらなかったですね…。」

はあ、と大きくため息を吐く。

「練習メニューの変更も悪いとは言わないが。まず何が原因で部活に来ないかを考えなければいけないのではないか?」

「あ…はい。でも実際に聞くというのもなんか…。聞きづらいです。」

「出席率が悪くなる前に何か言ってなかったか?」

「えーと。んー…。」

心当たりがないようだ。少なくとも部内の多くとは交友を深めている彼女が知らないのであれば、原因を特定できる可能性は薄いかもしれない。

「…部活内に問題があるとすれば大抵誰かに愚痴を零していたりするものだが。例えば部活外の生徒にも。」

「あっ、確かに。それはあるかもしれません。」

一つ、何か希望のようなものが見いだせたようだ。先程よりは幾分表情が明るくなった。

「今度ちょっと聞いてみたいと思います。」

「ああ、それがいいと思う。じゃあ、お疲れ。」

鞄を持ち上げる。

「え!?あっ、待ってください。その、途中まで一緒に良いですか!」

 

 

 

 

「先輩…何で大学に行かないんですか?」

家路の途中、新田は尋ねた。前に一度、進学しないというような話をどこかで告げた覚えがある。その時の疑念がまだあったのだろう。

「…なんでだろうな。」

夜道は暗く表情は見えなかったが、瞬間、彼女の心に靄がかかったのを知覚する。

「先輩、先生にも音大薦められてましたよね?講師の先生にだって、回りくどい言い方でしたけどそんな感じの事言われてたじゃないですか。」

先程よりも語気が強い。

「なんで……。」

そう言って俯いた。

気付けば、俺は笑みを浮かべていた。

「他に…やりたい事があるんですか?」

「そんなところだ。」

「先輩が音楽よりも好きな事って何なんですか?」

その眼はまっすぐに俺を見ている事を認識する。

「……秘密だ。」

 

 

「…………………。」

 

 

「…………………。」

 

 

 

 

「私、こっちですから。……さようなら。」

交差点を左へ。震える声を残し、彼女は家路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女と歩く家路。

天使は何故、ラッパを吹くのだろう。

そんな疑問が過り、そして消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自宅に着くと夕飯の支度をする。自宅に着いた時には9時をとっくに回っていた。

「…いただきます。」

自らの作った料理を頂く。

 

叔父さんが帰ってきたのは11時過ぎだった。自分の部屋へ帰ろうとすると、玄関からガチャリと音がした。

「おお。ただいま。」

少し驚いたあと、顔が和らぐ。

「お帰りなさい。今日は遅かったですね。」

「ふう。ラスト一週間だからね。」

ネクタイを緩め、大きく息を吐く。

「来週まではもう少し遅くなるかもしれないよ。」

「分かりました。おやすみなさい。」

「ん。おやすみ。」

短い会話を終え、部屋へと向かった。

 

 

 

休日の朝、目を覚ます。しばらくは天井を眺めたまま、思考を手放す。

この瞬間、この時だけは安寧を覚える。

 

変わらず、少女は存在した。俺が快感を得ているからか、彼女も同じような気持ちを抱いているように思える。

予定は特に無かった。何もない事に幸福に感じるのは自分だけなのだろうか。ふとそんな疑問が湧く。

「――――――――。」

穏やかな気持ちに浸っていたせいか、やわらかな笑みが零れた。はっとする。

こんな事をしている場合ではない。そう思った。特に予定も無い筈なのに慌てて思考を開始する。

叔父さんは今日もまた仕事だろう。来週は更に忙しいとの事だが、忙しく働くための準備が今週末はある筈である。昼食はいらないか、洗濯物干して朝食作って――。

 

――何をしようか。

 

一日中ベッドに寝ている訳にもいかないと体を起こし、伸びをする。高く上げた手が彼女から離れる。

「――――――。」

あっ。とでもいうかのような目が離れた右手を見上げる。

それを横目に捉えて、少しだけ笑った。

 

図書館に向かうことにした。目的は特に無い。ただ、何となく浮かんだ。朝食を食べてしばらくした後、準備を終え向かった。

 

図書館に着くと意外と多くの車や自転車が並んでいた。同じように自転車を並べ、入り口に向かう。入口で待っていた彼女は迷わず俺の隣に並び右手を取る。

中に入ると同じくらいの学生たちが見えた。ああ、そうか。そういえばそうだった。今の時期、学生は受験勉強に励んでいるのだという事をすっかり忘れていた。

彼らを余所に、本を探す。

何を読もうか。しばらく眺め、音楽の基礎知識という本を手に取った。何を取ったのか気になったのだろうか。彼女は表紙を覗きこみ、把握すると何事もなかったかのように元に戻る。

近くの席に着き、本を広げる。内容は既に知ったものであったし興味もなかった。ただ座っているだけというのは明らかに不自然なので、出来るだけ空気に馴染むようにそうしようと思った。

図書館内は静かだった。時々聞こえるのは友人達と勉強に励みながらも談笑する声や幼稚園、小学校低学年くらいの子供達がはしゃぐ声だけだ。それくらいが丁度心地良かった。

 

彼らは中学生だろうか。同じ高校を受けてまた一緒に笑い合うのだろうか――。

あの子達は兄妹だろうか、とても仲がよさそうだ。しっかりしていそうな兄に比べて妹らしき方はやたらと元気だな――。

 

二時間くらいだろうか。することもなかったので視界に入る人達について思考を巡らせた。それにも飽きると席を立つ。帰ろう。

 

「すみません。」

「ああ、あの。ちょっといいですか?」

振り向くと自分より少し背の高い位の異邦人がいた。中東系の顔立ちだ。顔の堀は少し深く、顎鬚を生やしていた。今の声を聞く限り日ノ本語をそれなりに話せるのだろうか。見たところとても楽な格好をしているしここら辺に住んでいるのかもしれない。大学にでも通っているのだろうか。

右肩にかけたリュックサックの中には本でも詰め込まれているのか重そうな印象を受ける。

「何か。」

彼に向き合う。

「あの、少し時間を、下さい。」

「ええ。」

「ありがとうございます。」

感謝の意を伝えると体面に座る。

「私の名前、ダニエル・ショシャンです。近くの大学で、マナの起源について研究をしています。」

「はい。」

「そしてマナの起源について何か手がかりがあると思い、この国にやってきました。」

「はい。」

「この国で昔から伝わる伝説にとても興味があります。」

「はい。」

「なにか、知りませんか。」

 

 

「――――――。」

 

「――――――。」

 

言いたいことは理解できたが少し聞きたいことがあった。

「…まず何故この国にマナの手がかりがあると思ったのですか?」

「はい。でもそれはとても、長いですから……。」

少し考えると重たそうなリュックサックを漁り、中から何か取り出すと俺に差し出す。

「ありがとうございます。」

渡された紙に目を通す。メモ書きか何かだろうか。イスラエル語が書いてある。その中につたない日本語が見て取れる。

 

………読めん。

 

「…では、あなたが知りたいのは日ノ本全体に伝わる伝説ですか?それともここら辺に伝わっているものですか?」

「ええ。ああ……二つとも。」

「申し訳ないのですがこの地域に伝わる伝説というのはあまり知りません。日ノ本全体に伝わる伝説ならネットで調べればわかりますから少し待っていてください。」

待っていてと言ったのだがついてきてしまった。

図書館のパソコンを使い、それ関連のサイトをいくつか抜粋、比較的まともそうなものから日ノ本の伝説がある程度一覧されているページに着くと、印刷機に10円入れてコピーをする。

「ペンはありますか?」

「ああ…はい。」

リュックサックから取り出したペンを受け取ると各伝説の名称を念のためローマ字で書いてペンを返す。

「この中で今まで調べたことがある物はありますか?」

「えー…………んー。」

しばらく印刷した資料を眺めていた。急すぎて困惑させたのだろうか。

「これらが有名な日ノ本の伝説であると思いますが。」

「……これ、貰っていいですか?」

「はい。」

「ありがとうございます。」

「申し訳ありませんが俺にはこれくらいしかできません。」

「そんなことない。とても助かりました。ありがとうございます。」

表情からして迷惑だったという訳でもなさそうだ。理解するのに時間がかかったのだろう。そう解釈する。

「では、もう行きますね。」

そう告げると図書館を出た。

 

 

 

悪魔というのは聖書を目にする、またはその内容を読んで聞かせるともがき苦しむという。

欧米にいるエクソシストという悪魔祓いの専門家たちは、人に取りついた悪魔を払うため、まず聖書を読んで聞かせて弱らせるらしい。

 

悪魔は何故、聖書を嫌うのか――。

 

聖書には世の真理が書いてあるからだ。そういう見解もあるらしい。実際にどうなのかは知らない。今では多くが改変され、その内容は原初とは程遠いものになっている。

 

――ただ、仮にそれが本当だとすれば、悪魔は何を恐れるのだろう。一体、何が彼らを苦しめるのだろうか。

 

 

 

自宅に戻ると、相変わらずの物静かな空気が出迎える。涼しくなってきているとはいえ、三十分近く自転車を漕いでいれば汗は掻く。とりあえず汗を流しに風呂場へ向かう。

 

その後は特に何もすることが無かった。ただ考え耽る。

少女は未だ、何も言わない。ただ隣にいるだけだった。ベッドに寝転がれば彼女もまたそうする。

再び、彼女を撫でる。近くにいるはずの存在が遠く思えた。無垢な瞳に向き合う。

 

 

「何故だ。」

 

疑問だった。やはり彼女は答えない。何故お前はそこで見ている。何故お前は俺といる。何故俺は――。

 

何かが変わったのだ。しかし何が変わったのか、いつ変わったのかさえ分からない。

唯、変わったのだ。いつの間にか変わっていた。それだけは確かなのだ。

 

強い感情が体を渦巻く。

今俺はどんな顔をしているだろう。こいつには俺はどんなふうに映っているのだろうか。そんな疑問と感情は、知覚した瞬間無益となる。

「ククッ…」

狂気的な笑みが零れる。

ああ、幸せだ。本当に幸せだと思う。

「……クックック」

息が荒い。しばらく自分を抑えられそうになかった。

 

まだだ、まだ駄目だ。

 

それでもそんな風に思っている自分がいる。

 

彼女は何も変わらない。ただずっと、俺を見ていた。

 

 

 

 

 

「バンザーイ、バンザーイ」

テレビの中では選挙を勝ち抜いた議員一向が同胞と、そしてなにより自らの勝利を喜ぶ姿があった。

「政権交代からはや一年、見事再び与党に返り咲いた要因は何だとお思いですか?」

記者の質問に一人の議員が受け答える。見覚えのある顔だった。

「様々な理由があると思いますが…」

 

これでとりあえずこの家も安泰だと思う。仮に落選したとしても叔父さんなら何とかするのだろうが、それでも多少安堵している自分がいる。

 

今日もいつもと大差ない日常を送っている。

選挙が終わったら言う事があった。ふと思い出す。終わって二、三日はまだ忙しそうにしているのを思い出してまた今度でいいかと思い直す。

 

テレビを切ると、あたりは静寂だった。

「頂きます。」

食事に向き合う。

 

いつもと同じく自分の部屋に籠る。

毎日、繰り返し同じような日々を送っていることに疑問を感じた。

何の意味があるのだろうか――。

それを考えても意味がない事は知っていた。それでも、考えずにはいられない。

 

 

「叔父さん、今時間ありますか?」

幾日かの後、叔父さんに尋ねる。

ソファに座って新聞を眺める叔父は声だけで反応する。

「ああ、問題ないよ。」

「叔父さんと同じ職場で働きたいと思っています。」

一瞬、表情が固まったのを知覚する。穏やかな雰囲気から一転、緊張が走った。

「煉君、本気なのか?」

叔父さんが俺を見る。それでも声は変わらない。

「ええ。」

「大変だよ。本当に。」

「ある程度は、理解しているつもりです。」

「そうか。…そうだね。」

若干の沈黙が生まれる。

 

「明日にでも挨拶しに行こうか。」

何気なく、そんなことを言う。

「ええ。分かりました。」

「…ふふ。いつから決めていたんだ?前に部屋で話した時にはもう決めていただろう?」

「だいぶ前からです。」

「そっか。」

一言、そう呟いた。どこか満足気な表情を浮かべているようにも見えた。

「断られたらどうするつもりだったんだい?」

「いえ。叔父さんは断りません。」

「……君は本当に面白いね。」

微笑する。いつもとは違う叔父がそこにいた。

 

 

 

翌日の夕方、叔父さんの職場に向かう。

古びたビルの二階、そこが叔父さんの職場だった。

田所健二秘書事務室――。

「失礼します。」

ノックとともに声をかける。

返事がない。

いないのかとも思ったが、扉越しに明かりが見える。いるはずなのだが。

 

再度、ノックをする。

「失礼しま――」

「おう。聞こえてるよ。」

出てきたのは30代半ばあたりの、やけに体格のある男性だった。

「…失礼します。叔父の狭山豪の紹介で来たのですが、田所健二秘書事務室はここでよろしいでしょうか。」

「ん?書いてあるじゃん?ほら、ここ。」

扉のネームを指さす。

「…愚問でした。」

その答えに少しの笑みを浮かべた後、俺を眺める。

「豪さんとこの?そっかそっか。いや驚いたね。」

「…叔父の方から今日この時間に伺うよう言われていたのですが。ご存じでなかったでしょうか?」

「ん?聞いているよ?」

 

掴めない人。それが彼の第一印象だった。議員秘書と言ったらもっと真面目そうな人達がやっているのかと思っていたのだが、そうでもないのかもしれない。

「んま、とりはえず入って。」

気楽な声とともに中に通される。

事務所内はお世辞にも綺麗だとは言えなかった。何の書類か分からないがデスクの上に山積みされているのが散見される。

中には叔父さんの姿は見えなかった。事務の女性らしき人が二人と40代くらいの真面目そうなおじさん二人、それだけだった。俗にいう有名議員の割に人数は少ないのではないかと推測する。

「んじゃ、そこ座って。」

やけに立派な椅子に腰かける。

「いやこっちとしては選挙前に来てくれた方が助かったんだけどね?」

座るや否や、唐突に話始める。

「申し訳ありません。余りに忙しそうだったので落ち着いた頃のほうが良いと考えました。」

「ま、そういう考え方もあるよね。」

感情が読めなかった。

「なんで秘書なんかやろうと思ったの?」

「…やりたいことがあるからです。」

「あっはっは。隠し事しちゃダメよ?そういうの、こういう仕事だとあんまり印象良く映らないからね~。」

「そうですか。申し訳ありません。」

その返答ににやりと笑う。

「あ、それとも。将来は国会議員になりたいとか?」

「いえ、そういうわけではありません。」

「ん~、そっか。残念。」

多少本気で行っているように思えるような口ぶりだった気がする。相変わらず、真意は分からない。

「あそうだ。名前。俺、中島総っていうんだ。よろしく。豪さんと同じ、政策担当秘書やらせてもらってます。」

慣れた笑顔とともに名刺を渡される。

 

「っとまあ、こんなもんかなぁ。」

そういうと背もたれに体を預ける。

「そうですか。」

「ふっふ。君、絶対政治家の方が向いてる。」

純粋に楽しそうだった。ようやくこの人の一面が垣間見れたと思う。

「中島さんこそ、政治家に向いてそうな気がしますが。」

「だーめだめ。そんな野望は持ち合わせておりません。」

先程よりもっと開けた印象を受けた。

「んじゃ、今日はこれでおしまい。また明日来てよ。」

「分かりました。」

席を立つ。

「じゃ、またね~。」

軽く手を挙げて見送られた。

 

 

 

部屋から退出する。

ふう。と一息。

多少の疑念はあった。どうだろう。いや――。

大丈夫だろう。そう思う。

こうして、俺の面接は終了した。

翌日は学校の帰りに事務所に寄った。

「失礼します。」

昨日と同様にドアをノックする。

「はい。…っと。錬君ね。」

出てきたのは中島さんだった。昨日とは明らかに印象が違う。

全く気付かなかった。あれは演技だったのだろうか。

「どっちも俺だよ。」

見透かしたようにそんなことを言う。

「…そうですか。」

「ああ。」

短い返事の後、事務所内に案内される。

 

「今後の事だけど、」

椅子に座ると、中島さんは切り出した。

「在学中はボランティアみたいな感じで、色々手伝ってもらうことになるかもしれない。所謂雑用なんだけど。」

「ええ。問題ないです。」

「その後の事はそれから決める。それでいいかな。」

「分かりました。」

 

 

 

結局、言われたのはそれだけだった。必要なときには連絡する。今は学校生活を楽しんでくれれば良い。そういうことらしい。ある程度想定していた事ではあったがどこか曖昧な気がして複雑な心境だった。

 

ベッドの上、天井を眺めて少女と考える。

 

何故俺は生きているんだろう。こんな事をしていると忘れそうになる。

忘れてしまったら、俺はどうなってしまうのか――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その喜びは、既に描かれている。

それは私の描く処ではない。

それは真実である。

而して、真理ではない。