WORLD -9-

「次の予定は?」

「十二時十分から経団連会長との食事会、十二時三十分から厚生省の査察。五時から国際フォーラムで演説会があります。」

「…食事会は十分遅れようか。」

「分かりました。」

「……なかなか様になってきたじゃないか。」

彼は言う。

視界の隅、バックミラー越しに表情が窺える。満足気だった。気分良さ気に外を眺める。

「私の目に間違いは無かった。そうだろう?」

それが俺に向けられているものだと自覚する。

「どうでしょうか。」

「ふふ…お前はそれで良い。」

相変わらず外を眺めたまま、彼は笑う。

 

四年が経った。

あれから四年、俺は田所健二の私設秘書として今まで働いている。その後の学校生活はごく一般的だった。特別な事なく無事終える。在学中含め約一年間、書生として叔父さんや中島さんから仕事の教育を受けた。たかが私設秘書に政策立案の過程やらを教えるのは将来を期待してなのか。

とにかく、高校卒業後は速かった。正直、この仕事は自分の思っていたものよりも何倍も厳しい物であると思う。体力的にもそうだし、精神的にも辛い事が幾度となくある。誰が好き好んでこんな仕事をするのかと考える事さえあった。それでも、誰もこの仕事を辞めない。そして全員、仕事のスピードも質もあった。それに驚愕した。

何故だろうか。何故こんなにも有能な人達が集まるのだろう。その答えを以前、中島さんから聞いたことがある。俺以外の人は全員、田所から直接この仕事の勧誘を受けているらしい。彼が彼らを見出したのだと思うと、やはり人並み以上に力のある政治家なのだと思わせられる。

やはり俺は田所の興味を引いたらしい。人を遠ざけるような、諦観染みたようにも感じる雰囲気も強い目も、彼にとっては興味を引く対象のようだ。それは寧ろマイナスになる物である筈なのに、彼は俺を傍に置いた。そして傍に置く理由が他の人と微妙に異なることを認識している。その理由が何となくわかる。

「豪はどう思う?」

田所は尋ねる。

「目を離すには早すぎると思います。」

「相変わらず厳しいな。お前は。」

相変わらず、満足そうな笑みを浮かべていた。

 

食事会の会場に到着する。

既に席には会長の姿が見える。田所はそこへ悠々と向かう。

「どうも、お久しぶりです。」

ぎらついた笑みを浮かべて握手を交わす。覇気を感じた。

会長もそれを知覚しているのだろうか。負けじと張り合うも、どこか虚勢のように見える。

食事会自体は大したことがなかった。世間話やらをしながら時々、あれこれと金の話が出たり、次の選挙の話が出たりという感じだったが、やはり田所が優位に見えるのは気のせいだろうか。

「そろそろ時間です。」

小さく耳打ちすると、出されたランチを半分も食べきらずに立ち上がる。

「会長、申し訳ない。次の予定があるので今日はこれで失礼します。」

「あ、ああ。」

「都合がついたら是非またご一緒しましょう。では、」

軽く会釈をして、まだ食事中の会長を残し田所は次の予定に移る為車に向かう。

ふと、視線を感じた。

「何故だ。」

会長だった。彼もまた同じだった。

「何故お前はあいつの下に居る。」

 

「……失礼します。」

 

 

 

「何かあったか?」

田所に尋ねられる。

「申し訳ありません。少しトイレに。」

「…んん。そうか、もう行くぞ。」

少し唸った後、そう言うだけだった。

次の予定地に向かう為、車を出す。厚生省まではここから丁度十分程度なので道路状況さえ良ければ時間内に到着できる。

 

到着したのは十二時三十二分。この二分が後に響かなければ良いがと多少心配になりながら車を付ける。既に外で待っていた重役達に迎えられ、屋内へ向かう。

どうやら昼休み中のようだった。席についている人数は少ないし、中には昼食を摂っている者もいた。まさか聞かされていない訳は無いのだろうが、どうだろうか。後で叔父さんに聞いてみようと、浮かんだ疑問を頭の隅に置いておく。

田所と叔父さんは重役たちに連れられ会議室に入る。

「煉、来るか?」

相変わらず何も聞かされないまま出席を促される。

田所の問いに答えたのは叔父さんだった。

「まだ速いと思います。」

「いい経験じゃないか。」

「一昨日も同じような事を聞きました。」

「むぅ…。」

風格の割に子供っぽいところも見せる。今でも時々良くわからない人だと思う。

結局、待機するよう叔父さんから言われ外で待つ。外と言っても他の官僚たちにとっては職場である為、居心地が悪いので廊下に退避する。

どれくらいかかるだろうか。およそ一時間程度だろうと推測し、次の予定の演説会の会場の状況などを確認、把握しておくが、一時間を潰すには足りなすぎた。外に出ようと廊下を歩く。

 

「―――――――。」

 

「―――――――。」

 

見知った顔だった。

 

……フフッ。

 

どうだろう。顔に出ていたかもしれない。

少し驚いたふうに見せた後、俺とは正反に、彼の顔はまた歪む。

 

「なんでお前が、」

「何故だろうな?」

少し挑発気味になってしまったかもしれない。自制できるだろうか。

山ケ野の前に立つ。

「言っただろう。」

「……は?」

「いいところまで行く。と、」

怒りが肥大化するのが解る。その中に、他に何かがあった気がする。

山ケ野は嘲笑した。

「はッ…うるせーよ。お前には関係ない。」

 

 

「……お前は、…何でここにいるんだよ。」

言いかけた問いだった。

 

フフッ…

思わず零れる。

 

「田所健二の秘書をしている。」

「…は?意味が解らない。」

「フフッ…何が?」

「……もういい。」

山ケ野はその場を立ち去ろうとする。

「酪農家は、」

彼は立ち止る。

「酪農家は――、豚や牛を人と同じように愛するのだろうか。」

 

 

 

「……おい。」

狭山の襟首を掴む。そのまま壁に追いやる。

何だこいつは。何なんだ。何故こうも俺の前に現れる。何故こいつは俺をこんなにも苛立たせる。何故俺は…ッ―――。

 

何故こいつを信じたのだ。

じゃああれは一体――。

感情の整理がつかない。

 

「…クククッ」

楽しそう。いや、楽しんでいた。彼は笑う。

それはどす黒い、狂気の笑みだった。

 

―――いかれてる。

 

そう悟った。

こいつはおかしいのだ。そう理解しても尚、怒りは湧いて出る。

「てめえは…今何言ったか解ってんのか?」

「唯、疑問を口にしただけだが?」

狭山の顔は今もまだ変わらない。

「ふざけんッ……!」

 

何。

何だ。何かが、視界の端に

…居た?

気のせい?何…

 

「ふうん。…お前には何が見える?」

どす黒い笑みの中に試すようなものが加わる。そのせいか、先程より壊れた印象は受けない。

「……話そらすんじゃねーよ。糞が。」

「フフッ……まあいい。」

「よくねッ…」

瞬間、鳩尾に衝撃が走る。

「がっ……!!」

思わず、後ずさる。

狭山は服を正す。

「ふう。…ッフフ。…まだ仕事が残っている。」

 

そう言い残し狭山は去る。

 

クソッ……!!

 

 

 

怒りもあった。悔しさもあった。一つだけ言えるのは

 

俺はこの感情を忘れない。

 

そう誓った。